イタリア旅行で世界遺産を訪れて勉強した経験をもとに、
徹底的にイタリアの世界遺産を通じて改めて歴史や文化を学ぼうと思い、制作しました。
世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」として登録されている物件は、世界でも類を見ないほどの規模を誇ります。
その歴史や物件概要を端的に説明するのは不可能でしょう。
世界遺産として登録されているローマの地域は、主に古代ローマ時代の遺構、そして中世の芸術活動が盛んな時期を中心としたキリスト教建築物があります。
ここでは古代ローマについて触れていきます。
古代ローマは、紀元前7世紀にラテン人とサビニ人がローマの町を築いたことから始まりました。
紀元前6世紀後半には共和制国家になり、既に民衆が政治を担うようになっていました。
そしてこの頃、古代ギリシャ芸術やエジプトのアレキサンドリアを手本にした、優れた建築物を多く生み出します。
現在に残る遺跡は、主に紀元前1世紀から4世紀頃までのものです。
313年、ミラノ勅令によりキリスト教が公認されました。
これを受け、ローマにはキリスト教建築が次々に生まれます。
しかし、395年にローマ帝国は東ローマと西ローマに分裂し、西ローマ帝国は急速に衰退の道を辿ったのです。
一方、東ローマ帝国はその後1000年以上続くことになりました。
西ローマ帝国は5世紀までに滅亡してしまいましたが、それでもローマ帝国を総合的に見ると、実に2500年も続いたので、いかにローマ人が支配者として天才的であったかがわかります。
世界遺産「古代ローマ歴史地区」の遺跡を見て驚かされるのは民衆が政治や仕事に熱心だっただけでなく、余暇やリラクゼーションの時間を大切にしていた、ということです。
その代表的な施設は「フォロ・ロマーノ」や「コロッセオ」「カラカラ浴場」などです。
政治で中心的役割を果たしたフォロ・ロマーノは、「ローマ市民の広場」という意味で、ここで日々政治家たちが熱弁をふるっていました。
フォロ・ロマーノには複数の神殿、凱旋門、老院議事堂や聖堂などの数多くの建築物があり、現在までその遺構が残っています。
それだけ見ても圧巻です。
コロッセオは円形闘技場で、ローマ市民はここでの闘技会に毎回熱狂していました。
周囲527m、高さ48.5mあるコロッセオは5万人の収容が可能でした。
ローマ初の巨大娯楽施設で、5世紀まで使われていました。
カラカラ浴場は、通称「カラカラ帝」といわれたローマ皇帝が築いた大浴場で、混浴になっていました。
また、カラカラ浴場敷地内には、冷水の浴場やサウナ室、プールのほか、体育室、マッサージ室、図書館や庭園などがありました。
人々はここで様々なリラクゼーションを楽しむことができたのです。
比較的安価で利用できたので、連日ローマ市民で賑わいました。
古代ローマ帝国は、歴史上類を見ない圧倒的な強さと能力を持つ国家でしたが、このような市民の豊かな暮らしぶりもまた注目すべきところでしょう。
公認されてから現在に至るまで、イタリア半島では揺るぎない地位を確立してきました。
そして、現在も古代の面影を残すローマの有名なキリスト教建築は、4世紀から6世紀までの期間に着工・完成したものです。
数多くあるローマのキリスト教建築物の中でも「ローマの四大バシリカ」として挙げられ、世界遺産に認定されているのは、
です。
ヴァティカンは一国家として認められているので、いわば他国になるのですが、それでもローマ市内にあり、ヴァティカンとローマは現在も密接な関わりを持っています。
そして更に、これら3聖堂にはヴァティカンから様々な特権が与えられています。
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂は、ヴァティカンに聖堂ができるまではカトリックの総本山でした。
教皇庁も一時はこの聖堂にあったことなどから、現在もカトリック教会では極めて重要な建築物に挙げられます。
そのほかの聖堂も、ヴァティカン市国が誕生するまでは世界中のカトリック教徒の精神的な中心地になっていました。
これらの聖堂は、古代に完成したものを中世に増改築し、古代式建築と中世建築様式が混じっているのが大きな特徴です。