イタリア旅行で世界遺産を訪れて勉強した経験をもとに、
徹底的にイタリアの世界遺産を通じて改めて歴史や文化を学ぼうと思い、制作しました。
世界各地にある芸術都市の中で、フィレンツェが圧倒的に素晴らしい、という人は多いと思います。
ルネサンス(「再生」という意味)で新たな芸術概念を築き、それをヨーロッパ中に広めたのは、フィレンツェに集った天才的芸術家たち、そして彼らを支援した名家・メディチ家の人たちです。
フィレンツェの起源は、エトルリア人によって築かれた古代ローマの殖民都市です。
その後、様々な民族の支配下に置かれながら、12世紀に自治都市になります。
金融業も盛んになり、フィレンツェはとても豊かな都市になりました。
ルネサンスが始まったのは、14世紀頃のことです。
フィレンツェの人々は、それまであった封建的な文化を打破し、新しいものを築きたいと考えるようになりました。
その手本にしたのは、古代ローマ時代の芸術です。
その頃の自由な技法をもう一度再建させ、自分たちの自由な表現をしていこうという考えのもと、ルネサンス芸術が生まれました。
そこに、金融界で成功したメディチ家が大きく貢献したことは誰もが認めることです。
彼らが芸術家たちの庇護者になったことで、イタリア半島から芸術家たちがフィレンツェに集まってくるようになりました。
勿論その中には、私たちがよく知る、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロたちの姿もあります。
ルネサンスの勢いはやがて西ヨーロッパに拡大していき、18世紀初頭くらいまで続きました。
フィレンツェのシンボルといえば、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。
この大聖堂は、1296年に着工し、実に600年かけて完成させたもので、建設の際には多くの天才芸術家たちが集いました。
聖堂部分を担当したのはカンビオ、円蓋部分を担当したのはブルネレスキという建築家です。
そして後には、ミケランジェロも主任建築士として建設に参加しています。
大聖堂の外壁は赤・白・緑の大理石を幾何学的に配置しており、バランスの取れた美しさを持ちます。
聖堂内には素晴らしい装飾品が溢れていますが、中でもドーム部分の天井にあるヴァザーリ、ツッカリによる「最後の審判」のフレスコ画は見事です。
ミケランジェロは後にヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂の仕事を依頼されたとき、「サンタ・マリア・デル・フィオーレに勝る美しい建物は造れません」と言ったそうです。
大聖堂と同じ区画にはそのほかに、洗礼堂と鐘楼、それに大聖堂付属美術館があります。
画家としても有名なジョットが建てた鐘楼は高さ85mあり、3色の大理石が使われた外壁は大変きれいです。
洗礼堂には、日本でも有名な黄金の「天国の扉」があります。
これは、ギベルティの作品です。
現在あるものはレプリカで本物は別に貯蔵されていますが、レプリカ製作の際に出資したのは、何と、日本の企業です。
この天国の扉もフィレンツェ観光最大のハイライトになっています。
フィレンツェで始まったルネサンスには、メディチ家による芸術家たちのバックアップが不可欠でした。
また、メディチ家は、名門一族の名に相応しい豪華な建築作品を芸術家たちに多く依頼しています。
トスカーナで長年政治の中心を置いていたのは、ヴェッキオ宮殿です。
この宮殿は、カンビオに依頼して建築したものを後にヴァザーリが改築しています。
外見は地味で簡素な印象ですが、中はそれとは裏腹に芸術美で溢れています。
特に大きな見どころは、「五百人広場」です。
ここの天井には48枚の絵画が隙間なく並べられ、壁一面にも写実的で見事な絵画と彫刻群が配されています。
その芸術作品一つ一つが、目を見張る美しさです。
メディチ家がオフィスとして建てた建築物が、ウフィッツィ(英語で「オフィス」の意味)美術館です。
ここは、コジモ1世用の事務所として建てられましたが、後にメディチ家の膨大な芸術品のコレクションを貯蔵する場所になりました。
美術館として一般公開されたのは、1769年のことです。
それ以後、ヨーロッパ屈指の美術館として世界中の人たちを魅了してきています。
ルネサンス期に造られた建物はまだまだ沢山あり、町全体が、現在も当時のまま時が止まったかのようなところです。
ドミニコ会の拠点サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、フランシスコ会の拠点サンタ・クローチェ教会なども内装・外装共に素晴らしい作品です。